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2009.02.15
初めての『ジゼル』、最後の『ジゼル』  by周防正行

草刈民代×周防正行 夫婦チャット対談

初めてのクラシック・バレエ鑑賞

初めてクラシック・バレエの舞台を生で観たのは、モスクワのボリショイ劇場だった。1993年か94年頃のことだと思う。もちろん、まだ草刈と結婚する前で、それどころか彼女の存在をすら意識することもなかった。

モスクワを訪れた理由はロシア野球を取材するためだったのだが、あらゆる「ロシア的なるもの」を見たかったので、ボリショイ劇場にも行ったのである。

「ボリショイ」というのは、ロシア語で「大きい」という意味で、つまり「ボリショイ劇場」とは「大劇場」と言っているにすぎず、例えば「ボリショイサーカス」ならば、単に「大サーカス」ということになる。

ボリショイ劇場は、その名の通り、確かに大きかった。ようやく手に入れたチケットは、下手側の後ろの方で、舞台では豆粒のようなバレリーナが踊っていた。正直に言うと、とても退屈なバレエで、モスクワを歩き回った疲れもあってか、何度も眠りこけ、どんなお話なのかも全く分からないままに、誰が踊っていたかもロシア語のパンフレットからは読み取れず、ただ「大劇場」が劇場名だと知った驚きと、トイレがやたらに汚かったという印象だけを僕に残し、初クラシック・バレエ鑑賞は終わった。

Bunkamuraオーチャードホール 「 イーゴリ・コルプ(マリインスキー劇場)」

09.01.07
Bunkamuraオーチャードホール 「イーゴリ・コルプ(マリインスキー劇場)」

不思議な縁

実は、その初めて観た退屈な舞台こそが『ジゼル』だったのである。考えてみれば、あまりにも不幸なバレエとの出会い、『ジゼル』との出会いだった。今もあの『ジゼル』で思い出すのは、下手にあった舞台装置の貧相な小屋だけで、踊りの印象は全くない。

それから数年後、まさかの「バレリーナとの結婚」があり、それ以来、たくさんのバレエを観てきたおかげで(もちろん草刈以外の舞台も)、出会いの不幸はもはや懐かしい思い出と化している。

そして今回、草刈にとって最後のクラシック・バレエとなるのが『ジゼル』ということで、まさに不思議な縁を感じずにはいられなかった。しかし、草刈の最後の『ジゼル』は、これまで観てきたたくさんの舞台とは全く異なるバレエの空気を持っていた。さらに、渋谷、西宮、横浜という三回の公演それぞれが、劇場によって全く違う空気を生み出していたのである。

最後の舞台

1月7日、渋谷Bunkamuraオーチャードホールの満員の客席には、緊張感がみなぎっていた。草刈の最後のクラシックの舞台である、ということからか、観客の一人一人が今目の前で踊る草刈の一挙手一投足を見逃してはなるものかと、まさに舞台を「凝視」しているようなピリピリとした空気。満員の客席は固唾を飲むように静まりかえり、観ている僕も緊張感に縛られるように舞台を見つめ、無事に踊ってくれることだけを祈るしかなかった。あとで草刈に聞けば、その客席のピンと張り詰めた異様な緊張感は舞台上にも伝わってきていたようで、あんな雰囲気の中で踊ったことはないと言っていた。

09.1.7 Bunkamuraオーチャードホール09.1.7 Bunkamuraオーチャードホール
09.1.7 Bunkamuraオーチャードホール
イーゴリ・コルプとは「エスプリ」でも共演する

ところが、舞台を西宮に移した25日の兵庫県立芸術文化センターは、木の温もりを感じさせるような優しい劇場内の作りとゆったりとした空間の雰囲気そのままに、最後のクラシックの舞台ということからくる踊り手と観客の緊張感はあるものの、どこか草刈の踊りを温かく見つめるような優しい空気に包まれていた。カーテンコールの拍手も、とても温かく感じられ、僕はその優しい観客のまなざしに、とても穏やかで幸せな気持ちになった。

最後の最後、1月31日、神奈川県民ホールは、1階最後列の後ろに立ち見が出るほどの超満員。ここまでくると、客席には最後の舞台という緊張感に加え、さあ始まるぞといったような「熱気」が生まれ、わくわくするような思いとともに幕が開いた 。

「ミハイル・シヴァコフ(レニングラード国立バレエ)」09.1.31神奈川県民ホール ミハイル・シヴァコフ
09.1.31神奈川県民ホール
ミハイル・シヴァコフ(レニングラード国立バレエ)

『ジゼル』

僕はといえば、これが見納めのクラシックの舞台、いつまでも草刈の踊りを記憶に留めておこうと、ひとつひとつの振りを確認するように反芻しつつ凝視していた。一幕最後の絶望から死にいたる場面は、まさに草刈の見せ場で、過剰な演技で作り込むことなく、静かに心が壊れてゆくさまを繊細に踊り、演じきる。その姿を忘れまいと食い入るように観たのは言うまでもないのだが、二幕が始まり、精霊となったジゼルが登場すると、最後のジゼルだの、最後のクラシックの舞台だの、だからこそ記憶に留めるべく見つめるのだといった思いがどこかに消え、僕はいつの間にか、『ジゼル』という作品世界に引き込まれてしまっていた。

09.1.31神奈川県民ホール 「ミハイル・シヴァコフ(レニングラード国立バレエ)」09.1.31神奈川県民ホール
ミハイル・シヴァコフ(レニングラード国立バレエ)

オーチャードホールで無事踊り終えて欲しいと祈ったことや、西宮で温かい拍手に包まれ感動した「身内の思い」はどこへやら、最後、舞台中央にアルブレヒトを残し、下手袖へ、美しいパ・ド・ブレで滑るように消えてゆくジゼルの姿に、切なさと優しさと哀しみを感じながら、あまりの愛しさに心が震えた。あのボリショイ劇場で初めて観た、退屈なバレエでしかなかった『ジゼル』が、今、草刈民代の最後の舞台で「クラシック・バレエ」の名作として、僕の心を動かしているのだ。

最後であるからこそ生まれた「思い」

最後の『ジゼル』というシチュエイションで舞台を見つめる身内を、作品そのものの世界に引きずり込むことができたのは、逆に最後であるからこそ草刈の中に生まれた「思い」が、「これが最後だ」ということでわき起こったであろう自らの感慨を超えて、バレエそのもの、踊りそのものに素直に向き合うことを可能にしたからかもしれない。その「思い」とは、果たしてどんなものであったのだろうか。

カーテンコールで再び現れた草刈を迎える観客の拍手は、やはり今までのカーテンコールの拍手とは違っていた。ありがとうでも、ご苦労様でもなく、祝福そのものといった感じがしたのは僕だけだろうか。これこそが素晴らしい舞台が生み出す拍手なのだと思った。その温かく大きな惜しみない拍手で何回も繰り返されるカーテンコールを見つめながら、草刈があえて引退を発表して最後の踊りに挑戦するという、自分に強烈なプレッシャーをかける選択をしたことが、間違いではなかったと思った。

終演後の舞台でオシペンコ先生と
終演後の舞台でオシペンコ先生と

今、この文章を書き終えて思うのは、バレリーナとして本当に最後の舞台となる『エスプリ』が、どんな空気を劇場に生み出してゆくのだろうか、ということだ。

ぜひ多くのお客様と、その劇場の空気を共有したいと願わずにはいられない。

2009年2月15日

周防正行